卒業生保護者
高等部
学校生活はいかがでしたか?
娘は高校一年生の二月頃から学校へいけなくなり、五月から浦和高等学園に転校し、昨年の三月に卒業いたしました。 不登校は先が見えないことに加えて、何をどうしたらいいのか分からず、母親である私は悩み、苦しい日々が続きました。 今娘が再び自分の意思で歩き始めた過程を親の目から振返ることで同じ悩みをお持ちの保護者の方のお役に立てればと思います。
(1)経緯
娘は小さい頃から親の言うことを良く聞く手の掛からない子でした。
幼稚園の頃から集団行動は嫌いで明るくのびのびとした子供達とは違う一種の違和感を持っていたことは確かです。 小学校時代は二回の転校があったにもかかわらず、ごく普通に通学していましたが、中学校の二年生頃から学校生活がかなりつまらないものになっていたようです。 給食を食べない、保健室で寝ている、心の相談室の先生に相談しに行く・・・・たくさんの兆候が出始めていました。 それでも進学を考えてか、学校にはしぶしぶ通っていましたが何が辛いのか親には理解できず、高校に行けば環境も変わるし大丈夫ではないかと思っていました。 しかし高校は進学重視の学校で本人の想い描いていた高校生活とは異なっていたのか次第に登校が困難になり、退学をせざるを得ない状況でした。
(2)浦和高等学園への転校
娘の将来を考えると絶望的になり、奈落の底に突き落とされた感じがしました。 そのとき、知り合いの方の紹介で「藁をも掴む気持ち」で学園を訪れ、私の話を理事長先生、学園長先生に聞いていただきました。
「親の敷いたレールから一旦本人を下ろして休ませなさい。本人に期待し、重くのしかかるのを止めなさい。」(理事長先生)
「子供は心の傷を受け、重い何かを抱えているので心を解放し、人間性の回復を図らなければいけない。親はうろたえることなく、子供を信頼し、愛情を持ってゆったりとした接し方をしてあげて欲しい。」(学園長先生)
娘は親がしいたレールの上を懸命に走ってきたのは確かでした。
今考えるとそのレールは、親の思う幸せや理想に繋がっているもので本人の意思ではなかったのだと思います。 この頃主人が「学園に転校して精神的に休ませて、元気になってから先のことは考えればいい、少しずつでも集団生活が送れるようになるために学校に在籍していることは大切だよ」と言っていたのを思い出します。 親自身が変わることは難しいですが、子供達の心に寄り添うという意味で自分自身の心の凝り固まったところを和らげ、子供に接することが大切なのではないかと思います。 そして子供を決して諦めないということです。「明けない夜はないですよ。」という理事長先生の言葉が遠くに思えた時期もありましたが、諦めずに接することで非常に大切な何かを手に入れることが出来ました。